チャイエスが衰退するようになった原因は2つです。
①東日本大震災の発生
②チャイエスの聖地「アルベルゴ上野」への大規模ガサまず、①についてです。
当時の嬢は学生が多かったです。
震災後に様々な風評が世界中で出回ってしまったため、嬢の親が心配して嬢を帰国させるケースが多くなりました。
自分がその頃気にいって通っていた語学学校生だったかわいい20歳の嬢も帰国してしまいました。
この時帰国してそのまま日本に帰ってこなかった嬢はたくさんいると思います。
加えて、②についてです。
小生が通っていた「千代家」、「半熟ピーチ」、「満足」、「ふれあい」も入っていてチャイエスの店の聖地だった「アルベルゴ上野」ビルにガサが入りました。
これにより小生がお気に入りにしていたお店が一気に閉店。
嬢も行方不明になってしまいました。
これによりチャイエスのお店自体も減ってしまいました。
しかし、まだチャイエスは盛り返してきました。
上野のアルベルゴが壊滅した後に隣の鶯谷で人気店が誕生しました。
それが
鶯谷Goです。
この鶯谷Goは2008年~2015年のこれまで通ったチャイエス店の中で、
最もレベルが高い嬢が揃っていた店でした。
このお店での自分のお気に入りは
エミちゃん
ユカちゃん
でした。
中でもエミちゃんは
今まで出会ったチャイエス嬢の中で最高のビジュアルでした。
はじめて見たときはアイドルかと思ったくらいです。
性格も優しかったですね。
自分の
チャイエス通いの歴史上最高の嬢でした。
エミちゃんがこの店にいたときは毎週通っていたのはいい思い出です。
ただ、このお店は非常に混んでいました。
なぜなら、上野のアルベルゴがなくなったため、チャイエス好きのお客さんが集中していたからです。
上野のアルベルゴ時代は人気嬢でもちょっとお酒でも飲んで待ち時間を潰していれば、入れたのですが、このお店では朝一の予約が必須になりました。
そのあたりが少し面倒でしたね。
待合室も狭いのですが、かなり込み合っていたのを覚えています。
このお店は今までで最高のお店でしたが、残念ながらさほど長い期間は持たずにガサでなくなってしまいました。
エミちゃんもガサの後に行方不明になってしまい、連絡先を交換していなかったことを非常に悔やみました。
その後は残っているチャイエス店である大塚ドラゴで遊ぶ日々をしばらく続けていました。
大塚ドラゴではマリナちゃん、マミちゃんというプレミアガールが揃っていました。
しかし、この二人は人気がとても高く予約合戦が大変でした。
しかも、この店前日予約もできないし、嬢が出勤してからでないと予約を受け付けないため、朝一で予約を入れることもできません。
嬢が15:00出勤なら15:00の少し前位からTELをかけ続けて嬢が出勤した時点で予約を取らないといけません。
15:10位に電話するともう基本的には受付終了になっていました。
10分で予約が埋まってしまうのです
しかし、この二人の嬢のレベルがこの頃のチャイエスでは飛びぬけていたので、予約合戦に参戦していました。
そんな中、小生は東京を離れることになります。
この後約2年弱はチャイエス通いが出来なくなってしまいました。